2013年11月、カンボジア、カーダモン山中のア-ラング渓谷にあるタタイ・レア集落で、僧侶が清めた木の前に立つ、マザー・ネイチャー創設者、アレックス・ゴンザレス-ダビッドソン氏(中央)。2月に同氏がカンボジアから国外追放処分を受けた後、カンボジア・ユースネットワークの会長、ティム・マレー氏(右)がアーラング峡谷を救うためのマザー・ネイチャーの活動を支えている。写真はロッド・ハービンソン撮影.
「私は逮捕された。今にも追放になる-アレックス。」
2月23日、午後5時、カンボジアの環境保護団体マザー・ネイチャーの創設者、アレハンドロ・ゴンザレス-ダビッドソン氏が主要な支持者とメディアのメンバーに送ったテキストにはこうあった。同氏はこのメッセージを、拘留されているプノンペン国際空港の移民局事務所から送信した。1時間後、カンボジアから送った最後のメッセージは、彼を有名にしたその使命を表すものだった:「若き人々とカンボジアの自然を愛する方々へ、頑張ってください。この戦いはあなた方のものです。自然のために。われわれの命。」
同氏の乗った飛行機は午後9時30分に離陸したが、彼の支持者はメディアの熱狂的注視のもと、空港外で抗議運動を続けた。
「彼らが私を追放しようとしている理由は、アーラング峡谷での活動のため、私はのどに刺さった魚の骨のように考えられているからです。」追放になる1週間前、ココン市でインタビューしたとき、ゴンザレス-ダビッドソン氏―アレックスで通っている―は筆者にこう述べた。
カンボジア南西部、カーダモン山地の森林中にあるアーラング峡谷の1万ヘクタールの土地は、チアイ・アーラング川に計画中の水力発電用ダムにより、浸水してしまう。カーダモン山地の森林は、1990年以来の伐採と農業により84パーセントの原生林を失ったカンボジアに残る、最も広い森林地帯の一部だ。またマザー・ネイチャーのウェブサイトによれば、アーラング峡谷には少なくとも31種の絶滅危惧種の動物が生息している。アーラング川は、絶滅の危機に瀕しているシャム・クロコダイル (Crocodylus siamensis) の最も重要な繁殖地の一つだ。国際自然保護連合(IUCN)によると、このクロコダイルの成体数は全世界で 1,000 頭未満と考えられている。ここはまた、やはり絶滅危惧種のアジア・アロワナすなわち龍魚 (Scleropages formosus) の生息地でもある。
また約 2000 人の住民がこの峡谷に居住しており、その多くは土着のチョン族の人々だ。峡谷の住人は大部分がこのダム建設に反対しており、ダムができれば、農地が浸水し、1600 名が他の土地への移住を余儀なくされる。新たな土地は今より劣悪な土地ではないかとの恐れもある。これまで具体的に提案された唯一の移転地は、自然環境保護の観点から最終的に拒絶された。まだカーダモン山地に生息拠点を維持している、減少中の絶滅危惧種、アジアゾウ (Elephas maximus) の主要移動経路を分断してしまう恐れがあったためである。また水が手に入らず、急で樹木の多い斜面は農耕に不適である点も峡谷の住民の反対を呼んだ。
ダムは、完成するとすれば、おそらく、所在地となるココン州に108メガワットの電力を供給することになるだろう。カンボジア政府のため日本の独立行政法人国際協力機構(JICA)が作成した報告書では、3億ドルの経費がかかるため、他のダムと比べ、電力の単位当たりのコストが高くつくことになるという結論だ。
アーラング渓谷を示すグーグルアースの写真。拡大するにはクリックしてください。
ゴンザレス‐ダビッドソン氏が追放された日の午後1時30分ごろ、プノンペン中心街のカフェで、警官が同氏と他にもう一人、サン・マーラ氏というマザー・ネイチャーのダム反対活動家を拘束した。この逮捕劇は、ゴンザレス‐ダビッドソン氏のビザが失効した3日後に起きた。内務省は自発的に国を去り、再入国を申し込むよう要請していたが、ビザが更新されないことを察して、スペイン市民である同氏はビザ失効後もカンボジアに留まることを選んだ。
同氏の国外追放は、1週間以上も各紙で大きく取り上げられ、古参政治家が議論に巻き込まれることになった。野党のカンボジア国民救済党はゴンザレス‐ダビッドソン氏に味方し、政府、さらには国王にも、彼の滞在を認めるように要求したが、かなわなかった。
「政府によるゴンザレス‐ダビッドソン氏のビザ更新拒絶決定は、政府が草の根運動を圧殺し、反対意見を沈黙させ、独立した批判を受けずに物事を進められる環境を作り上げようとしている絶好の例である。」プノンペンに拠点を置く名の知れた人権団体、カンボジア人権促進・擁護連盟のナリー・パイロージ氏は声明の中で述べた。31の市民社会団体の代表が署名した同声明は2月17日、プノンペンの議会ビル内で、政府に提出された。
2月24日付プノンペン・ポストによると、 フン・セン首相は、ゴンザレス‐ダビッドソン氏の国外追放後、半ば攻撃的に、同氏の支持者にこう述べたという:「もし『アーラング峡谷に』自治区を作りたいならば、やってみたまえ、われわれはBM21(多発ロケット発射器)を配備する。だが私はそうした人々を本気で咎めたいわけではない。」
しかし、反対の圧力を受けて、翌日首相は脅しを後退させ、実際上ダム計画を延期するように見えた。「アーラング峡谷のことはもう話すな、と言いたい。」 プノンペン・ポストによると、. 首相はこう述べたという。「もっとよく調べることだ;だが、2018年までよく調べたとしても、開発は無理だと思う。私の意見では、次の世代に残しておきたいと思う。」
この週、180人の活動家が地元住民と連帯し、ゴンザレス‐ダビッドソン氏の追放を怒って、アーラング峡谷まで赴いた。政府もまた、この地区で活動を行い、ダムの利点を絶賛する地元住人との集会を開くため議会代表を送り込んだ。地域住民らは政府関係者を取り巻く物々しい軍の警護に威嚇を感じ取ったという。マザー・ネイチャーの立会人は、集会の状況を記録しようとしたとして、警備員にカメラ付携帯電話を取り上げられ、内容を消去させられた。
タタイ・レア集落の共同森林で、急速に進む伐採に気づくやアレックス・ゴンザレス‐ダビッドソン氏は僧侶、地元住民、カンボジア青年団体と協力して、樹木の清めの儀式を組織した。これは環境保護団体、マザー・ネイチャーの創設に結びついた多くの活動の最初のものである。この写真では、タタイ・レア集落の住民はカンボジア、カーダモン山地の共同森林で、まだくすぶっている樹木の燃えがらの間に座っている(2013年11月)。オレンジ色の布は残存する大木を清め、価値を授け、伐採され燃やされてしまうことを防ぐためのもの。写真:ロッド・ハービンソン撮影
アーラング峡谷出身の著名な反ダム活動家、ベン・ボーン氏も、訪問者用エコ・センター建築のための木材を許可なくマザー・ネイチャーに供給したかどで、裁判所に召喚された。この告発も、ダム計画に対する反対運動を沈黙させるための企てとみられている。
カンボジアに12年間も住み、働いてきたゴンザレス‐ダビッドソン氏はいかにしてこのように悪名高くなったのだろうか?氏はイギリス人とスペイン人の両親のもとに、カタロニアに生まれたが、十代を母親とともにニューカッスル近郊で過ごしたため、北イングランド、タイン川地方の方言で英語を話す。現在30代初めで、2003年にはカンボジアを故郷として、国際赤十字や数多くの私企業の翻訳者として働き生計を立ててきた。しかし、彼を引き付けたのは、カンボジアの壮大な原生林であり、同氏は大胆にも遠く離れた森林地帯に、しばしば一人で自転車に乗って何度も出かけていった。
ゴンザレス‐ダビッドソン氏は流暢にクメール語を話すため、フン・セン首相政権下の搾取と戦うカンボジア地域社会の人々と親交を結んできた。フン・セン首相はその30年に及ぶ統治期間に国内のあらゆる反対活動を厳しく弾圧してきた。「アレクッスは外国人だが、クメール語を話せるので、多くの人が尊敬している。」マザー・ネイチャーの活動家、ソムラン・シム氏はゴンザレス‐ダビッドソン氏の国外追放後まもなく、ココン市の根拠地でこう述べた。
筆者は2012年、 精霊の森の守護者たち. というカーダモン山地についてのドキュメンタリーを作製中に、同氏と知り合った。当時彼はカメラの前に立たないよう注意を払い、目立たぬよう努めていた。氏が「犯罪カルテル」と呼ぶ政権に対し反対を表明することへの懸念があったからである。
バナナプランテーション農園の所有者に、未開の原生林を伐採されることを懸念して、ゴンザレス‐ダビッドソン氏は僧侶や青年活動家と協力し、タタイ・レアのカーダモン山地の集落で樹木を清める儀式を組織した。その時点から同氏はより大胆に振る舞い、またより遠慮なく発言するようになった。その理由は、彼の見たところ、アーラング峡谷における他の大型非営利環境保護団体のやり方が有効でないことに次第に不満を感じるようになったためだ。同氏の主張によると、フォーナ・アンド・フローラ・インターナショナル やコンサーベイション・インターナショナルのような団体は、カンボジアの現政権と正式に提携して活動し、同国での活動許可を失うことを恐れ、チアイ・アーラング・ダムのような破壊をもたらすプロジェクトに対し公式にはほとんど反対を表明してこなかった。
非暴力的な直接行動とソーシャル・メディアの独創的な利用に基づく独自の活動スタイルをつくりあげ、2013年10月、信頼のおけるカンボジア人活動家とともに、ゴンザレス‐ダビッドソン氏はマザー・ネイチャーを創設した。彼の「権力を持ったサルたち」をからかう 短い風変わりなビデオは、マザー・ネイチャーのフェイスブック・ページから急速に広がり、カンボジアの人々に大うけした。同氏はこの運動のカリスマ的代表となった。テレビの国家統制が厳しい国では、社会的議論が起きる場の多くはインターネットだ。
彼はとりわけ、毎日スマートフォンで政治的自由のことを読み、これに憧れる青年たちに訴えた。現政権と対決することにより、ゴンザレス‐ダビッドソン氏は、彼らの希望と憧れの象徴となった。現在、彼は、活動家たちの支持を得ている。彼らは腐敗していると広く信じられている政治家によってなされる決定に異議をはさみ、多くの人が政治的に妥協していると考えている判事らが執行する法律に立ち向かう用意を次第に整えつつある。
夕暮れに一人アーラング川沿いに歩く、カンボジア、アーラング峡谷の寺院の僧侶。この川は、絶滅に瀕しているシャム・クロコダイルの最後の生息地の一つであり、このワニの成体は全世界で、1000頭以下と考えられている。もしチアイ・アーラング・ダム計画が進められれば、峡谷全体が浸水し、クロコダイルの生息地と1600名以上のチョン族の住居が破壊されてしまう。写真:ロッド・ハービンソン撮影. |
フン・セン首相は2013年7月の選挙で、かろうじて政権の座に留まった。しかし、選挙結果には不正操作があると野党は非難し、抗議が起きた。同首相は彼らしい血なまぐさい弾圧でこれに応じ、何万もの人々が参加した数か月に及ぶ一連の抗議運動で、少なくとも2人が殺害された。2014年1月、フン・セン首相は抗議運動を全面的に禁止した。
この期間、ゴンザレス‐ダビッドソン氏らは首都で抗議運動を続けた。その多くには警官が多数張り付いた。自転車に乗り、動物の扮装をした学生たちを主体とした抗議活動には、参加者より多くの警官が集まり、自転車を発車できなかった。しかし、この抗議の象徴するものは、ソーシャル・メディアを燃え上がらせた。
2014年3月、ゴンザレス‐ダビッドソン氏とカンボジア人の支持者は、カンボジアで最もうっそうとした密林の真ん中に抗議用のキャンプを立ち上げた。その使命は、中国人のダム建設業者が、離れたアーラング峡谷に入るのを阻止することだった。政権側の抗議運動に対する全面禁止措置にもかかわらず、このキャンプは、広がりつつある青年運動に行動を呼びかける合図となった。学生たちは、約50名の僧侶、現地のチョン族の人々、以前の伐採業者など、種々の人からから成るキャンプの支援のため、首都プノンペンから移動を始めた。筆者は、2014年の6月、雨期に密林のキャンプを訪れた。そこでは、降り続く雨が、テントをずぶぬれにし、一帯を沼地に変えてしまう状況の中で、熱意にあふれる彼ら一団が、ハンモックで睡眠をとっていた。
ゴンザレス‐ダビッドソン氏らは5度にわたり、車に乗った中国人の測量技師とダム工事業者を取り囲み、追い返した。その後、昨年9月、ココン州からの軍とともに警官が来て、キャンプを解体し、ゴンザレス‐ダビッドソン氏らが再び道を封鎖した時、同氏と他の11名を逮捕した。彼らは、活動を中止するとの煩雑な約束文書に署名することに同意、その後ようやくココン市警察署から解放された。
その直後、国外追放の脅しが伝えられた。2014年12月12日の プノンペン・ポストの記事は、 大臣の一人、チアン・バン氏が、名指はしなかったが、マザー・ネイチャーの指導者を国外追放で脅迫して、こう述べたと伝えた。「もし彼がどんな事であれ、内務大臣との約束にそむくようなことをしたのを見つけたら、私は移民局に、彼を逮捕し、出身国に送還するよう要求するつもりだ。」
カンボジアでは外国人の活動家の国外追放は極めて異例のことである。最後のケースは2005年、ロンドンに根拠地を置く国際透明性擁護団体、グローバル・ウィットネスが、批判的なレポートで政府を怒らせ、政府がこの団体に対してビザ発給を拒絶したものだ。
ゴンザレス‐ダビッドソン氏は出身国のスペインに追放されることになっていたが、バンコクのスワンナプーム空港で、随行した当局者から逃れ、それ以降、カンボジアの仲間と密に連絡を取り合って、タイ国内から活動を続けている。
政府は公式には、ダムの実現可能性調査がまだ終わっていない、としているが、チアイ・アーラング・ダム計画はとん挫した可能性があるという証拠が集まりつつある。「私たちはこの役立たずの大計画を、大変効果的に人々の前にさらけ出しました。政府の言うことは、伐採や採掘事業者との汚職の言い訳です。」ゴンザレス‐ダビッドソン氏は述べた。
この水力発電ダム計画を先導していたのは、中国の大手ダム建築業者、サイノハイドロ・リソーシズで、カンボジアの有力業者、フェピメックスと手を組んでいる。与党の上院議員、ラオ・メン・キン氏の率いるフェピメックスは、カンボジア各地で起こした土地紛争で注目され悪名高い。国営電力会社、カンボジア電力 (EDC) が3月プノンペン・ポストに掲載した手紙はこう述べている。「首相がこの計画は休止したと述べて以来、EDC はこのダムのことは全く考えていない。」
しかし、ゴンザレス‐ダビッドソン氏と他のダムに反対する活動家たちは、まだ疑いを解いていない。特にサイノハイドロ・リソーシズは最近カンボジア・チアイ・アーラング電気株式会社というカンボジアにおける完全子会社を、この水力発電計画のために登記したからなおさらである。
非営利団体、インターナショナル・リバーズ (International Rivers) の北京事務所所属中国プログラム理事、グレイス・マン氏は、政府のダム計画延期に対するサイノハイドロからのコメントはまだ受け取っていないという。彼女は、これは影響の大きい事態と考えており、こう述べた:「3年は長い時間です。サイノハイドロがそんなに長く待つ覚悟があるかわかりませんし、[チアイ・アーラング・ダム計画に]もっと資金をつぎ込むとは思えません。中国企業はノルマを果たすため、契約書にサインが必要です。ですから 2018年まで結果がわからぬ計画のために、金の無駄遣いはしないでしょう。」
ゴンザレス‐ダビッドソン氏は、自身に関しては、外交的努力により間もなくカンボジアに戻れるのではないかという希望を持ち続けている。その間、彼はアメリカを回り、カンボジア人社会でマザー・ネイチャーの事業について語り、遠方からその活動を運営している。
この数か月、マザー・ネイチャーはココン州の川の砂をさらう事業に対する反対活動を開始し、観光事業開発およびココン州、ボトム・セイカー国立公園内プランテーション拡大と戦う現地住民の支援活動に乗り出した。
国外追放処分を受けたプノンペンへ運命の旅に赴く数日前に、ココン市で、ゴンザレス‐ダビッドソン氏は筆者にこう述べた。「私に何が起きようと、私がどこにいようと、人々がこの運動とカンボジアの天然資源を守る活動に参加するよう励ますことは絶対に必要です。カンボジアの自然は信じがたいほど痛めつけられているのですから。」