- 分断される自然保護」の第1部では、Mongabayのベテラン記者ジェレミー
- ハンスが、世界屈指の自然保護団体が選択した「新自然保護」とよばれる人間中心のアプローチと、それが地球の生命を救うのに最善の手段か否かをめぐって起きた業界の分断について分析する。
- 現在の自然保護活動が大量絶滅に歯止めをかけられていないことに異論の余地はない。だが、進むべき道をめぐって意見は対立する。とりわけ争点となるのは、保護区の重要性と、最大級かつ最も有名な団体の活動成果だ。
2009年、フルタイムの環境ジャーナリストとして働き始めて間もないわたしは、マレーシア領ボルネオを訪れた。自然保護関係者の小グループと政府関係者と共に、丸一日かけて延々と続くアブラヤシの間を車で抜け、ようやくキナバタンガン川下流にたどり着いた。キナバタンガン野生動物保護区は、オランウータン、ゾウ、マレーグマ、ウンピョウといったボルネオの野生動物のスターたちが、失われゆくハビタットの片隅に詰め込まれた場所だ。
正直にいって、広大なアブラヤシを抜けてきたわたしは、ここにはイエネコより大きな動物は一匹もいないだろうと思った。ましてや、ゾウの群れなど。その夜、地元のゲストハウスで、わたしたちは何人かのWWFスタッフと非公式に会った。かれらは興奮した様子で、世界一有名な自然保護団体WWFによる野心的な計画が、ボルネオの野生動物を未曾有の森林伐採、鉱山開発、アブラヤシから救うのだと説明した。
かれらに手渡された光沢紙のブックレットは、躍動するカリスマティックなボルネオの野生動物や、幸せそうな先住民たちの、素晴らしい写真が満載だった。「ハート・オブ・ボルネオ」と銘打ったそのプロジェクトは、WWFがボルネオ島を領有するマレーシア・ブルネイ・インドネシア政府と共同でおこなう、3か国2300万ヘクタールにまたがる地域の保全計画だ。計画では、英国よりも広いこのエリアは、国立公園ではなく、持続可能管理ランドスケープとなる。アブラヤシ、林業、鉱業といった産業界との連携によって成し遂げられる、まったく新しい概念だ。そこでは野生動物と先住民が繁栄を手にする、とかれらは主張した。ボルネオ島の広大な地域において完全な生態系を維持できると。
壮大で、野心的で、すばらしいアイディアに思えた。話しているWWFスタッフも、わたしが感銘をうけていることに満足げだった。

そこでわたしは聞いた。「すごい話ですね、でも、どうやって実現するんですか?」
どうやらわたしは、マレーシア文化のタブーを犯してしまったらしい。さっきまで熱っぽく楽しそうだった皆が、呆然とわたしを見つめるか、視線を逸らした。誰も一言も発しなかった。誰も答えを知らなかった。
何かが足りないのは明らかだった。

メガ団体バッシング
環境ジャーナリストになって気づいたことがある。研究者も保全関係者も、自然保護の「巨人」たちの(オフレコの)バッシングが大好きなのだ。具体的な対象は、野生動物と自然にフォーカスし、全世界で活動する最大級の団体、WWF、コンサベーション・インターナショナル(CI)、ネイチャー・コンサバンシー(TNC)。時にはこれに加え、規模はだいぶ劣るが、野生動物保全協会(WCS)も含まれる。4団体は合わせて約100か国で1万人以上を雇用し、総収入は年間約20億ドルに達する。世界の大部分とは言わずとも、かなりの部分において、4団体のいずれかが自然保護の取り組みの代表格とみなされている。
ここ数年、わたしは何度となく、こうした団体の元職員たちが、逃した機会や価値観の押し付け、成功と同じくらいたくさんあるプロジェクトの失敗について暴露するのを聞いてきた。一方、現役職員たちの話は、政府報道官のように歯切れが悪いことが多々あった。別団体の自然保護関係者からは、メガ団体が努力の成果を横取りしたとか、地元との関係をこじらせたといった苦情を耳にした。同じ問題点が繰り返し指摘された。プロジェクトの成功を遠のかせる団体ブランドへの拘泥、企業もどきの組織ヒエラルキー、世界最悪級の環境破壊企業に対する軟弱な態度、さまざまな環境問題についての沈黙、頻発する危機対応の不手際。
やめた人間が前の職場を悪く言うのはよくある話だ。一部の自然保護プロジェクトが、その複雑さと多方面からの圧力によって、失敗するのもうなづける。小規模な環境NGOはメガ団体を妬むこともあるだろう。けれども時が経つにつれ、わたしは自然保護の巨人たちが悪に堕ちたと聞くのに慣れきってしまい、前の職場(WWFポーランド)についていいことしか言わないある保全関係者に出会ったときには逆に驚くほどだった。そんな人は初めてだったのだ。
たくさんの情報筋から同じような話を何度も何度も耳にして、わたしは思うようになった。本当になにか間違いが起きているのだろうか? 競争の激しい業界で、理想主義的で情熱的な人々が、生態系の崩壊を目の当たりにしていることを考えれば当然のことだろうか? あるいは本当に、自然保護の巨人たちは道を踏み外したのだろうか?
「新自然保護(new conservation)」の台頭
近年の自然保護業界の最大の変化が、いわゆる「新自然保護」の台頭だ。現在メガ団体に向けられる批判の一部は(決してすべてではないが)この変化に端を発する。
現代の自然保護運動のはじまり(19世紀の国立公園の設立が端緒とされることが多い)以来、自然保護とは主に、陸地や水域の一部を囲い込むことと、絶滅危惧種を守ることを意味した。初期の自然保護の取り組みは、経済的な動機や人間中心の価値観(狩猟やレクリエーション)に突き動かされる部分もあったが、自然そのものの生来的・精神的価値を守ることに重点がおかれていた。

現代自然保護運動の祖のひとり、ジョン・ミューアは言った。「誰しも手つかずの自然を愛する心を持っている。それは原始の母への愛情であり、自覚の有無にかかわらず、日常や仕事に埋もれながらも、たえず発露している」
_ミューアらに触発され、多くの自然保護活動家は主張した。自然が人類にとって、現在または未来の経済的価値をどれだけ持っているかにかかわらず、自然にはより深遠な価値があり、それにはドルマークをつけることはできず、つけてはならないのだと。自然を守るべきなのは、人類の膨大なニーズを満たしているからではなく(実際に満たしているのだが)、人類にはそうすべき道徳的義務があるからなのだと。
だがここ数十年の間に振り子の揺り戻しが起き、再び自然は主として効用の観点からみられるようになった。驚くにはあたらないだろう。環境危機が、気候変動、海洋酸性化、人口爆発、大規模汚染、それに大絶滅といった地球規模に膨れあがり、こうした脅威が人類文明の機能を損ない、何百万、あるいは何十億という人々を惨禍に突き落としかねないとわかってきたのだから。
一方で、この変化の裏には、1970年代から80年代にかけて台頭してきたネオリベラリズムがある。その特徴は、規制緩和の信奉、政府への不信、自由市場と民間企業への絶大な(狂信的ともいえる)信頼だ。自然保護団体もこういった信念と無縁ではいられなかった。この時期以降、自然保護派は経済学者にならい、自然のすべてを現在の経済的価値の視点でことこまかに評価し、さらには未来の価値の推定までおこなうようになった。送粉は、炭素固定は、水質浄化は、一体いくらになるのだろう?
こうして、すばらしいビジョンが形成された。自然の金銭的価値を現行の経済システムに統合することさえできれば、そして見過ごされてきた経済的価値をポリシーメーカーや産業界に理解させることさえできれば、世界は救える。こうした経済中心アプローチは、やがて「新自然保護」と呼ばれるようになった。
新自然保護派は言う。過去の自然保護の取り組みは、生物多様性喪失の真の原因に対して、十分に理解も対処もできていなかったと。
WWF米国の森林・淡水部門シニアバイスプレジデントのトム・ディロン氏によれば、新自然保護の_核心は、破壊の原因である人間活動を環境に配慮した形に転換させることだという。
そのため、新たな哲学のもとでは保護区外の土地や水域にフォーカスが移され、農業、林業、水産業、鉱業といった大規模産業をグリーンにする取り組みが主体となる。
「世界の森林伐採の主要因は農地拡大です。世界の河川への主な脅威は、排水による汚染と、道路やダムなど無秩序なインフラ開発による生態系の断片化です。これらの脅威の深刻度を理解することで、問題に対処するための革新的アプローチが生まれました」ディロン氏は言う。「そしてそれこそが、世界の野生生物を守ることができる唯一の方法なのです」

原因に対処するため、新自然保護派は複雑な認証スキーム(林業製品のFSCや、水産物のMSCなど)を構築し、業界に対して、自主規制の実施が利益増と天然資源の安定供給につながると説得しようとしている。また、かれらは萌芽的な「生態系サービスへの支払」プログラムを打ち出し、政府や土地所有者が、自然環境を手つかずに保つことで報酬を得られるようにしようと模索している(森林の炭素固定機能に対するREDD+など)。さらに、貧困撲滅や持続可能な開発のプログラムも、最貧困層による環境破壊を食い止める方法として重視している。新自然保護派はまた、環境破壊で悪名高い企業も含め、あらゆる業界や企業と提携している。その目的は、原状回復を手助けすることだけでなく、場合によっては、まとまった額の寄付金の獲得も含んでいるようだ。
新自然保護は瞬く間に自然保護の巨人たちを魅了した。メガ国際NGO(WWF、CI、TNC、部分的ながらWCSも)はいずれも、新自然保護的要素を多数のプロジェクトに組み込んだ。例えばTNCは、米国内では従来の土地の買い上げ事業を中心としているが、海外プロジェクトは大部分が新自然保護寄りだ。
WWFが新自然保護の思想を取り入れたのは、現状がいかに危機的であるかを理解してのことだと、ディロン氏は言う。彼は、WWFが2年ごとに刊行してる、自然のおかれた現状を評価した「生きている地球レポート」を引き合いに出す。
「(2014年の)レポートでは、生物多様性から気候変動まで、すべての指標が悪化を示しました」ディロン氏いわく、1998年にスタートしたこのレポートをきっかけに、WWFは気づいたのだという。「いくつかの重要な、厳しい戦闘で勝利を収めてきましたが、戦争には敗れつつありました。変わらなければならないのは明らかでした」
発足当初は対象種の実地の保護活動に専念していたWWFだが、近年のプロジェクトは、新自然保護の理念が中心のものが増えている。ハート・オブ・ボルネオは一例にすぎない。それでも、WWFグローバルコンサベーションディレクターのディオン・ネル氏は、WWFがもっとも重視するのは「今後もずっと」野生動物だと強調する。
しかし、外部オブザーバーの多くは否定的だ。WWFマレーシアの職員および協力者として30年以上を過ごしてきたジョン・ペイン氏もその一人だ。現在、彼はボルネオライノアライアンス(Borneo Rhino Alliance)代表として、スマトラサイのボルネオ亜種を絶滅から救う努力を続けている。WWFはこの30年で劇的に変わったと、彼は言う。「WWFが個別の種の絶滅を食い止めるプログラムに投じているのは資金のごく一部です。これは設立時の目標とはかけ離れています」
一方、従来型の自然保護関係者の中には、新自然保護に新しい要素など何もない、という人もいる。

「<自然だけ>から<人間も>へのシフトなど一切ありません。自然保護運動は、1800年代の勃興期から、つねにその範疇に人類の利害を含んでいたのです。経済的欲求と、環境劣化による損失の両方を」NGO「生物多様性センター(CBD; Center for Biological Diversity、本部アリゾナ州トゥーソン)」のキエラン・サックリング代表はそう話し、あのジョン・ミューア自身も牧畜農家だったと指摘する。
新自然保護派は、ただ自分たちのアイディアを斬新なものとして売り込んだだけだと、彼は批判する。「ものを売るときの鉄則は、まったく新しい、すばらしいものだと謳うことです。そうしないと誰も興味を持ちませんから。でも、押し売りにだまされてはいけません」
サックリング氏の批判は一理ある。しかし、かつては野生動物中心だった団体の多くが、人間と、自然の経済的側面にフォーカスしている現状が、新たな展開であるのは確かだ。従来型の自然保護は、メガ保全団体の中で「明らかに軽視されている」と、レオ・ボトリル氏は言う。WWFに6年勤めたボトリル氏は、現在はコンゴ民主共和国で森林伐採監視をおこなう「モアビ(Moabi)」イニシアティブを率いる。
「(従来型自然保護への)資金拠出は減っています。支持が得られておらず、能力も低下しています」と、ボトリル氏は言う。
巨大NGOは一線を越えた、と批判者たちは口をそろえる。
ペルーの小規模NGO「新世界ザル保全協会(NPC; Neotropical Primate Conservation)」の共同創設者、ノガ・シェイニー(Noga Shanee)氏は、新自然保護はむしろ「ネオリベラル自然保護」と呼ぶべきだと言う。新自然保護派がしていることは「似非自然保護活動」だと、彼女は言い切る。
「自然保護に直接かかわりのない巨大プロジェクトに、途方もない労力と資金をつぎ込んでいるのです」と、彼女は言う。
新自然保護は「矛盾だらけ」だと、彼女は批判する。先住民に農耕を強制し、現金のために森林を売り飛ばし、モノカルチャー・プランテーションを支援していると。彼女にとってもっとも許しがたいのは、新自然保護派がトロフィーハンティングを擁護し、クロサイ(Diceros bicornis)のような絶滅寸前の種すら対象として認めていることだ。
現地住民による狩猟は「密猟」と呼ばれ、裕福な外国人による狩猟は「自然保護」と呼ばれるのだと、シェイニー氏は言う。「新自然保護派は狩猟から、エコツーリズムや生物資源探査といったダメージの小さい活動への転換もおこなっています。けれども、基本理念は同じで、自然保護を利用して領主制を正当化しているのです」
シェイニー氏のような批判者にいわせれば、経済や人間活動にフォーカスし、原生自然や絶滅危惧種を守ることをおろそかにする新自然保護派の姿勢は、控えめに言っても危ういし、最悪の場合、道を踏み外している。新自然保護派は、野生動物に直接フォーカスしたプログラムから、絶滅危惧種のためになるかどうかもわからないプログラムに乗り換えてしまった、とかれらは言う。そして、新自然保護派は道徳や価値についての議論を放棄し、自然功利主義者の主張をそのまま受け入れたのだと。ウサギに経済的価値がないなら、ウサギを殺そう。弱肉強食の資本主義社会では、自然にも自分の食い扶持を稼いでもらわなくては。
保護区と価値をめぐる激論
従来の自然保護と新自然保護の対立は、辛辣で、激しく、ときにきわめて醜悪だ。研究者、保全団体職員、ジャーナリストが、学術誌で、新聞で、学会で、ブログで、ときには顔を合わせて罵り合う。自然保護思想は分断されてしまった。
「従来」であれ「新」であれ、現在の自然保護に大量絶滅を食い止めることができていないことには、双方とも同意する。しかし、進むべき道をめぐって意見はまっぷたつに分かれる。とりわけ、保護区の重要性に関して。

従来の自然保護派にとって、保護区は過去150年間で最大の自然保護活動の成果だ。さらに保護区を増やし、絶滅寸前の種を救うための現地の取り組みを強化することが喫緊の課題だと、かれらは主張する。
現在、保護区は地表面の12~15%、海面の3%を占め、後者については今も順調に拡大している。もしも保護区がなければ、絶滅の規模は今よりもはるかに大きくなっていただろうし、今いる生物種の多くが絶滅していたと、保護区を擁護する人々は言う。実際、それを裏付けるように、ここ数年の研究で、保護区は近隣地域よりも種多様性が高く、バイオマスも大きいことが示されている。
しかし新自然保護派は、このアプローチでは不十分だという。「保護区だけでは不十分だという確信がある」2013年、学術誌Conservation Biologyの 論説 、サンタクララ大学の環境科学者ミシェル・マーヴィアー氏は述べた。論説のタイトルからして、「新自然保護こそ真の自然保護(New Conservation Is True Conservation)」と揺るぎない。保護区の増加を求めるのは、AIDS危機のさなかに病院のベッド数の増加を求めるようなものだ、と彼女は言う。つまり、積極性を欠いた受け身の対策で、大けがに絆創膏を貼るようなものだと。「保護区の設立は大きな成功をおさめたが、種の絶滅速度は依然として高すぎる」と、彼女は書いている。
さらに新自然保護派は、世界には本当の原生自然など残されていないと批判し、人類以前の状態に自然を維持することを目標とすべきではないと暗に主張する。それよりも、70億人を超え今も増加を続ける地球上の人類にとって役立っている自然との共存の道を探るべきだという。
原生自然などないという考えについて、ドン・ウィーデン氏はこう話す。「ほとんどの自然保護関係者はこう言うでしょうね。『まったくもってその通り。だからそんな現状と闘っているんだ』と」。彼は全世界の従来型自然保護プロジェクトを支援するウィーデン財団(本部ニューヨーク州)の代表を務める。「どの保護区も手つかずではないでしょう。わたしたちがやろうとしているのは、残されたなかで最良の場所を守ることなのです」
従来の自然保護と新自然保護の対立がこれほど互いの神経を逆なでした理由のひとつは、それが個人の価値観や道徳観といった敏感な部分に触れるからだ。新自然保護派は、「伝統派」は人々のニーズや経済的欲求を軽視してきたと主張する。対する伝統派は、新自然保護派は自然の内在的価値を見失い、どんな生物も人類への利益の有無にかかわらず存続する権利をもっていると認める倫理的義務を放棄したと主張する。土地や種の経済的価値を示さなければならないようになれば、わたしたちは土地も種も失うことになる、と伝統派は懸念している。

絶滅寸前(CR)のバレマウンテンツリーフロッグ(Balebreviceps hillmani)が、分布域のエチオピアにとっては研究対象としての年15ドルの価値しかないとわかったらどうなるだろう? キタイタチキツネザル(Lepilemur septentrionalis)はマダガスカルに年150ドルの観光収入しかもたらさず、そのハビタットを農地に変えれば地元のコミュニティにとってより大きな収入源になるとしたら?
新自然保護派は、こうした見方は間違いだという。森林などの生態系が人々にもたらす利益は多岐にわたる。炭素固定、水質浄化、生物多様性。経済的価値は、これらすべての総計なのだと。
自然の経済的価値の称揚について、新自然保護派は、世論に順応しているだけだと言い(米国では、自分は環境保護派/自然保護派だと考える人が減っているという調査結果がある)、あるいは自然保護活動が現在進行形のネオリベラル資本主義をかならずしも妨げるものではないことを政府や企業に現実的に納得してもらうためだと言う。
「個人的には、わたしは自然を愛しています」CIのシニアバイスプレジデント兼主任研究者、ウィル・ターナー氏は言う。「生物多様性が大好きだし、人間が大好きです。自然の内在的価値と、人類の生存と繁栄を支える土台としての地球の生態系の重要性、両方を組み込んだ価値体系を採用するのにも大賛成です」
どちらに比重があるにせよ、新自然保護派が産み出したプログラムが、まったく新しいものであるのは確かだ。支持者たちは、それがやがて本当に自然を救うことになるのだと断言する。
認証スキームに意味はあるのか?
大型食品店の棚には、いくつものマークが並んでいる。青い魚のMSC、緑のヤシの葉の「持続可能なパーム油のための円卓会議(RSPO)」、木にチェックマークのFSC、カエルのレインフォレスト・アライアンス。これらはみな、新自然保護の成果だ。急速に増え続け、ときに競合するこれらの認証スキームは、消費行動をより持続可能な製品に向けることで、環境破壊の原因をコントロールしようという試みだ。巨大自然保護団体はこれらのスキームの創設に際し、中核的な役割を果たした。
こうした認証スキームは、製品を買うことが環境負荷につながらないかのような誤った印象を消費者に与える、と批判者たちは言う。実際にはせいぜい、ダメージを軽減しているだけだ。FSC認証の紙は認証なしの紙よりはましだが、そもそも紙を買わないか、100%リサイクル紙を使うのには劣る。悪魔は細部に宿る。そして、認証スキームのディテールは複雑かつ不透明だ。
監視団体の批判によれば、認証スキームの基準は不十分かつ不徹底で、規制対象であるはずの業界に影響されすぎているという。例えば、FSCの基準の中には、原生林の伐採 モノカルチャー植林、時には 皆伐 すら認めるなど、持続可能ではないものがあると懐疑的な自然保護派は批判する。また、FSC製品の表示は「FSCミックス」であることも多い。これは原材料の一部にFSC認証木材を含むだけで、残りは非認証材(Controlled Wood)、すなわち最低限の基準を満たしてはいるものの、より厳格なFSC認証ルールには適合していない木材であることを意味する。
このような抜け穴が存在する理由のひとつは、認証スキームは巨大自然保護団体だけでデザインしたものではないことだ。認証スキームは、NGO、企業、産業団体、政府、その他ステークホルダーが対立の末にたどりついた妥協や、秘密交渉の産物なのだ。また認証スキームは、操業実態の監査(通常は年1回のみ)が行われて初めて意味をなすが、こうした監査の多くはずさんで、腐敗すら(つい最近ではRSPOに関して)報告されている。.
こうした問題にもかかわらず、WWFのディロン氏は、FSC認証を受けた森林面積をWWFの過去20年間の最大の成果のひとつに数える。WWFは1993年にFSCの設立に協力し、現在もメンバーとして制度を強力に支えている。ディロン氏によれば、現在、世界の木材生産林の15.5%がFSC認証を受けており、その面積はイランよりも広い182万km2にのぼる。また、FSC基準も改善を続けているという。2014年、FSC委員会は道路などのインフラで分断されていない広大な原生林を「未開発森林景観(Intact Forest Landscapes)」とし、保護条項を強化した。
「環境および社会的責任に関して、FSCはもっとも厳格な森林管理基準であると、WWFは考えています」と、ディロン氏。「FSC認証を獲得すること、FSC認証製品を購入することは、世界の森林を保護するための最良の方法です」
一方、批判者たちは、FSCは20年以上にわたり、世界でもっとも生物多様性の高い森林の保全にほとんど貢献していないと言う。2013年の時点で、FSC認証森林のうち熱帯に位置するのは19万km2(全体の約10%)でしかなく、その1/4は生物多様性に乏しいモノカルチャープランテーションだ。ヨーロッパのFSC認証森林の面積は、すべての熱帯諸国の認証森林の合計の4倍にあたる。FSCの目的が野生動物の保護であるとしたら、これまでのところ、世界屈指の野生動物の宝庫を無視し、当然ながら絶滅危惧種も無視していることになる。
とはいえ、伝統派の自然保護関係者のなかにも、認証スキームを地球規模の環境危機への有効な対策として評価する声もある。
RSPOメンバーでもあるボルネオライノアライアンスのペイン氏は、保護区拡大が実現しないなか、パーム油認証スキームは透明性のある環境基準を加盟メンバーに義務づけている点で前向きな方針だと話す。政府がプロセスにしばしば介入を試みていること自体、RSPOに意味がある証拠だと、ペイン氏は言う
野生生物保全に関して政府が手綱を強く握るなか、RSPOのような認証スキームには、NGOに一定の影響力を戻す役割がある、とペイン氏は考えている。

これに対し、ニューヨーク大学の環境学教授ジェニファー・ジャケ氏は、政府の責任は大きすぎるのではなく、いまでもまだ小さすぎると言う。ジャケ教授は2015年の著書「Is Shame Necessary?」で認証スキームを批判し、健全な自然環境に関する責任を、大規模で包括的な変化を実現できる政府から、行き当たりばったりの小さな変化しか生み出せない消費者に移してしまうと主張した。製品が安ければそれを買う消費者は必ずいるので、多くの企業が環境破壊の責任を逃れつづけるだろうと、彼女は言う。例えば、RSPO認証は欧米で販売される製品に関して一定の成果をあげる可能性はあるが、世界のパーム油の大部分を消費するのは中国、インド、インドネシアだ。これらの国々での認証スキームの現状は芳しくない。
「ほとんどの認証スキームは、生態系への効果は微々たるもので、自然保護団体の予算をかなり食いつぶし、私が思うに、大規模で包括的な変化を遠ざけています」ジャケ教授はMongabayの 昨年のインタビュー でそう話した。MSCがカバーする水産物は世界の市場のわずか7%だと、ジャケ教授は指摘する。
認証スキームを擁護する人々は、本物の変化には時間が必要だが、部分的かつ地域限定だとしても、産業界の環境負荷への認識にはすでに改善がみられると主張する。
だが批判者たちは、認証スキームに費やした予算で、各国政府や国際社会に訴えかけ、全面的な規制強化をすべきだったと言う。結局のところ、必要なのは消費者意識が頼りの任意参加スキームの乱立ではなく、規制の改善と強化であり、寿司屋のカウンターのすべての魚、ホームデポで売られているすべての木材、ウォルマートに並ぶすべてのパーム油製品が、持続可能な形で生産されていると保証することだ、というのがかれらの主張だ。
生態系は自分の食い扶持を稼げるのか?
大いに議論の余地があるとはいえ、認証スキームは巨大自然保護団体と産業界を結びつけ、困難な問題に取り組ませることには大成功した。それが全面的な転換につながるかどうかはまだわからない。しかし、認証スキーム以上に「新自然保護の問題児」なのが、いわゆる生態系サービスの経済的価値を市場や政府に認識させる、という目標だ。生態系サービスとは、簡単にいえば自然がわたしたちに無償であたえてくれるもの、すなわち綺麗な水、酸素、炭素固定、_送粉などのことだ。
新自然保護派は、生態系サービスの研究をもとに、政府に対して、水源、マングローブ、森林などの重要な自然環境を保護するよう説得をおこなってきた。「生態系サービスへの支払」という新たなプログラムも編み出した。これは、政府や企業がこうしたサービスを保護するため実際に直接の支払をおこなうというアイディアだ。しかし、現在のところ、国連の「途上国の森林減少・森林劣化に由来する排出の削減(REDD+)」などのプログラムは難航している。例えば、REDD+では富裕国が途上国に、森林の炭素固定機能の維持に対して支払をおこなうことが提案されている。だが、2008年の正式発足以降、REDD+の歩みの大部分は交渉に占められてきた。REDD+を新たな形の土地接収とみなす先住民との軋轢や、地方行政当局の不支持、資金不足など、次々に問題が持ち上がったためだ。これに関して、パリ合意が待望のカンフル剤になるかどうかも定かではない。

批判者たちは、生態系サービスへの支払プログラムは誇大広告だと言う。森林のサービスをどう金銭換算しても、アブラヤシプランテーションや希少鉱物の採掘のような儲かる産業には太刀打ちできないと、かれらは主張する。
だが、CIのターナー氏は、生態系サービスが競争に耐えうる例もすでにあると反論する。REDD+における炭素固定のように1つの機能だけにフォーカスするのではなく、多種多様なサービス全体を考慮した場合、とくに価値は高くなる。
「マングローブはそのいい例です。複数の研究で、マングローブ生態系の価値と、もっとも収益性の高いほかの土地利用法が比較されています」ターナー氏は言う。マングローブは稚魚の生育場所、炭素固定、地元住民が利用する非木材森林産品を提供する。高潮の緩衝作用もあるため、マングローブは人命を救うといえる。「これらをすべて足し合わせると、エビ養殖場に転換した場合の短期的収益よりも、はるかに価値があるのです」
マングローブはそのままの方が、エビ養殖場にするよりも、はるかに価値があるのかもしれない。だが、それでも世界中で前例のないスピードで進む破壊は止まっていない。1990年から2005年の間に、世界のマングローブの19~35%が失われた。マングローブの消滅速度は地上の森林の3~5倍であり、生物多様性だけでなく人命も脅かされていると、専門家は言う。つまり、生態系はそのままの方が価値があると知っていても、ポリシーメーカーは生態系を守るとは限らないということだ。少なくとも、今のところは。
経済的にみて搾取が生態系を上回る場合もあると、ターナー氏は認める。鉱山開発はその一例だ。「鉱山周辺のわずかな面積の自然環境が、その下の数百万ドル相当の鉱物資源よりも人間にとって経済的価値がある、という状況は考えられません」彼いわく、そういったケースでは破壊の規模をできるかぎり小さくすることが重要だという。当然ながら、鉱山開発の影響は直接破壊されたエリアのはるか外まで広がる。地下水源や大気の汚染、採掘資源を市場まで運ぶための道路などの追加的インフラがその代表例だ。
生態系サービスへの支払のアプローチを困難にしているもうひとつの要因は、生態系サービスを数値化する際に不確定要素が多いことだ。例えば、気候変動が激化すれば、炭素固定の価値はさらに高まる可能性がある。自然環境の喪失の時代においては、同様のことが、水質浄化や送粉など、多くのサービスについていえる。
このような将来の潜在的価値は、現在のバランスシートに表すことはできないが、考慮に入れるべきだとターナー氏は言い、熱帯雨林に豊富に生息する未発見のカエルを例にあげた。
「2年前、わたしの父は多剤耐性菌感染症にかかり、_生死の境をさまよいました。父の命を救った薬、バンコマイシンは、抗生物質のなかで最後の手段とされていますが、じつは50年前に製薬会社イーライ・リリーが出資したボルネオ探検で採取されたサンプルから開発されたものなのです」と、ターナー氏は言う。「熱帯雨林で見つかったこの物質は、文字通り地球の裏側で、その50年後、父の命を救いました。そして、いま現在その同じ森林が、きれいな水を提供し、漁業を支え、そこに暮らす人々の暮らしを成り立たせているのです」
幅広い生態系サービスを認識することで、自然保護にかかわる機関や人々が増え、一般大衆により広く自然保護の意義を訴えることが可能になると、ターナー氏は言う。
一方、ボルネオライノアライアンスのペイン氏は、生態系サービスを重視するあまり野生動物がおろそかにされていると主張する。「だれも経済の話などしていないときに、生物種を守るべき経済的理由を主張するのは得策ではありません。(自然保護団体が)疑わしい主張をするはめになるだけでなく、一般大衆が『自然保護は経済と結びつけなければいけないのだ』と思うようになるでしょう。新自然保護アプローチは全般的すぎて、絶滅危惧種が救えるかどうかは運任せです」
生態系サービスの価値評価をすることで土地が開発から守られたとしても、そこに住む生物種が保護される保証はない、とペイン氏は言う。野生動物への脅威は生息地の消失だけではなく、密猟や気候変動など多岐にわたるからだ。たとえ生息地が保護されたとしても、多くの種は依然として、100年後にも生き続けているために、現場での取り組みを必要とする。だが、まさにこうした仕事が、新自然保護時代の名の下に、ないがしろにされている。
「保護区の管理当局と直接協力して、保全プログラムを実施することに、代替策などありません」モアビのボトリル氏は言う。彼の自然保護業界でのキャリアは、何年もの現場仕事から始まった。
「生物種について学び、いかに維持管理していくかを学ぶことは、いまでも必要です。こういった問題が消えたわけではありません」と、ボトリル氏は続ける。アフリカのブッシュミート取引の壊滅的な現状をみれば、必要なのは自然保護の現場戦力の増強であり、削減ではないのは明白だと、彼は指摘する。
批判の要点はこうだ。生態系サービスアプローチは、絶滅危惧種への脅威が切迫し、個体数が激減するなか、新自然保護派が種の直接の保全から手を引こうとする手段のひとつでしかない。

測定不能?
あなたがアムールトラ(Panthera tigris altaica)の保全に携わっているとしたら、プロジェクトの成否を判断するのは比較的簡単だ。個体数を数え、減っているか、増えているか、変わらないかを調べればいい。だが、生態系サービス、認証スキーム、貧困撲滅、企業との提携といった取り組みは、成功か失敗かを判断するのがはるかに難しい。これは新自然保護についてまわる、もっとも強力な批判のひとつだ。
「何年もかけて多額の資金をつぎ込んだ新自然保護アプローチに、測定可能な成果がないのです。新自然保護アプローチはたいてい明確な目標を欠いています。成功か失敗かは主観でしかありません」と、ペイン氏は言う。
従来型の自然保護関係者に言わせれば、単一の種ではなく、生物多様性を数値化すること自体にも問題はあるが、認証スキームや生態系サービスへの支払プログラムが生物多様性にあたえる影響の数値化となると、なおさら混乱をきわめる。新自然保護の誕生から数十年が経っているのに、提唱者たちは鳴物入りのプログラムが実際に成果をあげているのかどうか、厳密な検証をおこなうのを避けていると、批判者たちは言う。
WWF米国の民間セクター提携部門シニアバイスプレジデント、スザンヌ・アップル氏も、自然保護業界は成功の指標をより明確にすべきだと認める。彼女いわく、WWFはそれに取り組んでいるという。
「わたしたちは経験から学びました。自然保護活動をはっきりと数値化し、どこで進歩がみられ、どこで方向転換が必要かをよりよく理解すべきだと。WWFは戦略の明確化に関して前進し、数値化と評価を計画のプロセスに組み込みました」
新自然保護プログラムの有効性に関するよい研究がないことは、多くの団体がプログラムの成否について、いまだ手探りであることを意味している。驚くべきことに、誕生から四半世紀が過ぎようとしているFSCでさえ、認証を受けた林業が実際に森林破壊を防ぎ生物多様性を守っているかどうかを検証した包括的研究はほとんどない。2015年に学術誌PLOS ONEに掲載された 論文 によれば、インドネシア領ボルネオの伐採許可地において、FSC認証済の操業地ではたしかに森林破壊の減少がみられたが、非認証地と比べてわずか5%軽減されただけだった。同じ研究から、FSC認証森林でも火災の発生頻度や、生物多様性の指標のひとつである森林のコアエリアの断片化の程度には違いがないこともわかっている。一方、集落の生活水準はFSC認証森林内の方が高かった。「実際の影響は微々たるものです。多少の恩恵はありますが、旧来の林業よりもはるかに優れているとはいえません」と、ボトリル氏は言う。
しかし、別の最近の 研究 によると、チリのFSC認証植林地では森林破壊が43%減少し、他の持続可能性スキームを上回った。それでも、目標はあくまで森林破壊ゼロであり、チリの温帯林ではボルネオの熱帯林よりも成果をあげたとはいえ、やはり十分とはいえない。
また、新自然保護派の団体は成功している証拠がなくても「大成功のストーリーを量産する傾向にある」と、NPCのシェイニー氏は指摘する。「素晴らしい自然保護活動があれだけ行われているのに、種の絶滅は続いていると知ると、みな驚きます」
WWFのネル氏に言わせれば、従来の自然保護と新自然保護の成果を比較するのは、りんごとオレンジを比べるようなものだ。両者には、時間スケールという重要な違いがあるからだ。保護区の設立は即座に結果がでる。一方、認証スキームや生態系サービスへの支払を通じて環境問題の原因に取り組む場合は、成否を評価するのに時間がかかるのだと、ネル氏は言う。
こんにちの自然保護団体は、産業、市場、消費の動向のような、環境劣化の背景にある原因に対処するにあたり、長丁場を覚悟しなければならないのだと、ネル氏は言う。つまり、WWFの現在の活動の本質は、数十年前の自然保護活動にはみられなかった、大きな野心なのだと。
「現場で活動する際の即効性の対策とは違うのです」と、彼は言う。
大きさがあだに?
だが、ネル氏の主張はさらに疑念を呼ぶ。自然保護団体は、能力に見合わない大それた野心を抱いているのだろうか? 近年になって膨れ上がったその規模は、強みではなく重荷になっているのだろうか? それとも、国境を越え社会のあらゆるレベルに蔓延するあまたの環境問題と闘うには、これ以外に方法はないのだろうか?
自然保護業界の2大巨頭はTNCとWWFで、2014年の年間収入はそれぞれ9億4900万ドル、7億ドルだ。同年、WCSの年間収入は2億5300万ドル、CIは1億5200万ドルで、トップ2と比べれば規模は小さいが、他の大部分の自然保護団体と比べれば、やはり「巨人」と言っていい。
TNCは約3500人を雇用し、30か国以上で活動するが、圧倒的に米国が中心だ。WWFの職員数は6000人で、活動地域は100か国以上にのぼり、全世界に500万人の会員を抱える。WCSは全世界で4000人、CIは30か国で800人を雇用する。WWFとTNCは自然保護業界の2大勢力だが、チャリティ団体としては、ユナイテッド・ウェイや救世軍(Salvation Army)などには遠く及ばない。
自然保護団体は非営利団体のなかでは弱小で、しかも福祉団体にはない課題を抱えている。自然保護団体は自然を守るだけでなく、自然環境とそこに住む何百万種もの生物種の重要性を、政府や社会に認識させなければならないのだ。福祉団体はふつう、人間の重要性を訴える必要はない。

しかし、批判者たちは、巨大自然保護団体はその規模のせいで、機敏さを欠き、官僚的になり、順応性を失って、無能で非効率になりがちだと言う。現在、長期プログラムに傾倒する巨大自然保護団体では、Uターンは事実上不可能で、危機に際しても資金や専門家の投入が難しくなっていると、多くの関係者が指摘する。例えば、東南アジア・アフリカ・中南米で激増するブッシュミート密猟に対し、絶滅危惧種の保全を軽んじた巨大自然保護団体は、対処を誤ったばかりか、事態を悪化させた可能性すらあると、批判者たちは言う。
お役所仕事だらけの硬直化したヒエラルキーも、メガ自然保護団体の活動を妨げているとしばしば指摘される。末端職員の新たなアイディアや危機感は、トップに伝わる前に立ち消えになってしまうという。期待と熱意にあふれて有名自然保護団体に新規採用された職員が、時が経つにつれ幻滅し、不満を溜め込み、それを吐き出すこともできずにいる、といった話をわたしは何度となく耳にした。
こういった理由により、熱心な自然保護活動家であっても、絶滅寸前の生物種を救うために必要な踏み込んだ対策をとることが事実上不可能になっているのだと、関係者は言う。従来型の自然保護関係者のなかには、メガ団体は1960年代~80年代のWWFのように、第一線の自然保護活動家に資金を提供して、ある程度自由に活動させた方が成果を出せるのではという意見すらある。
このようなモデルを採用したのが、サンフランシスコに拠点をおく野生生物保全ネットワーク(WCN; Wildlife Conservation Network)だ。WCNは世界中の自然保護活動家に対し、お役所仕事を押し付けることなく、資金調達、広報、活動のスケールアップを通じた支援をおこなっている。
WCNのプロジェクト「エレファント・クライシス・ファンド」はわずか1日のディスカッションから生まれたが、これがメガNGOなら同じ決定をするのに1年かかっていたかもしれない、とパリッシュ氏は言う。イノベーション、スピード、即応性、コラボレーションといった特徴は、どのメガNGOにも見いだせないという。
はわずか1日のディスカッションから生まれたが、これがメガNGOなら同じ決定をするのに1年かかっていたかもしれない、とパリッシュ氏は言う。イノベーション、スピード、即応性、コラボレーションといった特徴は、どのメガNGOにも見いだせないという。
それでも、大きいことは悪いことばかりではない。WWFに「圧倒的な結集力がある」ことは、元職員のボトリル氏も認める。ネームバリューが災いして支援先の決定には長い時間がかかるが、「いちど支援を決めたら、相当な力になる」という。パンダを怒らせてはいけない、ということだ。.
自然保護の巨人たちがめざしている大規模な構造的変化が必要であることは、ほとんどの自然保護関係者が認めている。しかし、こうした団体がその変化に取り組むのにはたして適任なのか、求められる規模の変化を市場や政府に起こさせることが本当にできるのか、取っている戦略が正しいものなのかについては、意見がわかれる。

自然保護の別の未来のあり方として、著名な生物学者E. O. ウィルソンが提唱する「ネイチャー・ニーズ・ハーフ」イニシアティブを推す人もいる。地球の面積の半分を野生生物と自然のために残し、もう半分で人類のニーズをまかなおうというアイディアだ。正気じゃないと思うなら、こう考えてみよう。地球の半分で1種の生物の至近的需要を満たし、もう半分は残り1000万ほどの種に譲るのだ。
「ずっと考えていました。誰も、自然保護団体でさえも、十分に大きく考えていないと」ウィルソン氏は昨年Smithsonian誌に語っている。この主張を述べた彼の著書は先日出版されたばかりだ。「ハーフ・アースが目標ですが、どうやってそれを実現するか、ひとつづきの手つかずの風景をつくりだすことができるかが問題です。わたしが思い描くのは、断絶のないコリドーが複雑に組み合わさり、その一部は国立公園や生物多様性保護区を内包するほどの規模にひろがった、生物種が消滅することのない、まったく新しい保護区域です」
「ハーフ・アース」構想の支持者たちは、地球の半分を守ることができれば(それには復元や再野生化がおおいに必要だが)、人類が必要とする生態系サービスの大部分(もしかしたらすべて)も守ることができると主張する。気候変動や海洋酸性化といった問題は解決しない(まちがいなく緩和はされるだろう)が、それ以外の地球規模の環境問題、とりわけ大量絶滅の危機は消滅する、と支持者たちは主張する。
「必要なのは保護区の放棄ではなく、保護区の増加なのです」ウィーデン財団のドン・ウィーデン氏は言う。
ウィーデン氏がネイチャー・ニーズ・ハーフを支持するのは、「遠大な目標が必要」だからだという。また、彼いわく、この目標は多くの地域で達成可能なものだ。 世界銀行 によれば、ベネズエラとニューカレドニアは2014年の時点ですでに面積の半分以上を保護区に指定している。ブータンは47%、ザンビア、ナミビア、ニカラグアは37%、ベリーズは36%、コンゴ共和国は35%で、これらはすべて発展途上国だ。一方、米国の保護区割合は13.9%にすぎない(訳注:日本は19.4%)。

しかし、増え続ける世界人口が地球の半分では満足せず、ほぼすべてを食いつぶしてしまうことはないのだろうか? それに、そもそも「ハーフ・アース」が国際社会の支持など獲得できるだろうか? ウィルソン氏の壮大なアイディアは結局、現地住民や先住民の強制退去という、過去半世紀の自然保護につきまとう問題を再生産することになると、批判者たちは言う。一方、ウィルソン氏は ニューヨーク・タイムズ のインタビューで、「この提案は住民の退去を求めるものではありません」と述べている。
ウィーデン氏いわく、これまで以上のものが必要であることは研究からも明らかだ。「生物多様性の損失を食い止めるには、15~17%では不十分です。これまでの最終目標はたいてい政治的なもので、地球上の保護区域を拡大する必要があるという研究結果にもとづくものではありませんでした」
一方で、巨大NGOは科学、なかでも保全生物学や生物多様性科学を、これまでになく軽視するようになっているという批判もある。
研究者との決別
自然保護団体が大きく豊かになっているにもかかわらず、保全系研究者の人員は削られている。2014年、WWF米国は中核的な研究部門を廃止し、30人の研究者の半分を転属させ、残りの半分を解雇した。
これに際して、IUCNの科学・情報部門責任者トーマス・ブルックス氏は学術誌Scienceに対し、WWFの決定は「近視眼的で、科学にとってきわめて悪いニュース」だと語った。
研究職員を切り捨てるメガ自然保護団体はWWFだけではない。TNCは2000年、中心的な研究プログラム「ナチュラル・ヘリテージ・ネットワーク」を別のNGOとの統合という形で廃止した。現在は独立の団体「NatureServe」となり、TNC傘下にはない。TNCに反旗を翻して独立した生態学者たちのグループという生い立ちをもつCIも、現在の組織内に保全系研究者は少ないと、関係者は話す。
変化は組織内だけでなく、トップにも起きている。メガ自然保護団体のトップ5人(いうまでもないが全員男性)のうち、2人は科学ではなく経営学の学位取得者だ。2005年に就任したWWF米国のカーター・ロバーツCEOは、MBAを持ち、P&Gやジレットを経て自然保護業界に参入した。WWFインターナショナルのマルコ・ランベルティーニ事務局長は化学の博士号を持ち、自然保護業界での経験も長い。だが、野生動物や原生自然から企業提携やサプライチェーンのグリーン化へというWWFの変化において、主導的役割をはたしたのはロバーツ氏の方だ。2008年就任のTNCのマーク・ターセックCEOは大手投資銀行ゴールドマンサックスに24年勤めた。GSは現在、TNCのパートナー企業となっている。
CIの共同創設者兼CEO、ピーター・セリグマン氏は林学・環境学修士だが、彼も生物多様性から新自然保護への転換の主導者の一人だ。
研究者の減少と科学者肌のリーダーの不在が、生物種の保全の失敗につながったと、ペイン氏はみている。「理由はわかりませんが、野生生物の研究や管理技術は2000年までには廃れていました」
フィールドでの保全研究にかわって、「技術的ギミックや似非科学」が「腹立たしいほどのさばってきた」と、ペイン氏は言う。例えば、ある場所に絶滅危惧種がいるかどうか判断するのに、糞やヒルから採取した血液をサンプリングする研究に多大な関心が向けられたことに、彼は失望をあらわにした。
「いったい何のためですか? そんな方法が検討されるほど希少だというなら、大々的な緊急対策をとるか、その種のことはもう諦めるしか、とるべき選択肢はそもそもないでしょう」
これは「さらなる研究を要する」症候群の蔓延を示す一例にすぎないと、ペイン氏は言う。PR向きだが実用化は頓挫しがちな、テクノロジー偏重のアイディアにこうした傾向が強く、その陰で実際にフィールド研究を現場での種の保全に活かす研究者の養成が縮小していると、彼は指摘する。

WCSという例外
しかし、巨大自然保護団体でありながら、どの役職にも多数の保全・フィールド研究者が就いている団体がひとつある。野生生物保護協会(WCS)だ。
4大自然保護団体のなかで、WCSは唯一、CEOが生物学の博士号を持つ(クリスティアン・サンペル氏)。熱帯生態系の第一人者であるサンペル氏は、4団体のCEOのなかで唯一の米国外出身者でもある。彼はコロンビアで生まれ育ち、首都ボゴタのアンデス大学で学士号を取得した。
WCSだけはまっとうな科学と効果的な保全手法、野生動物へのフォーカスを保っていると、わたしは自然保護関係者から繰り返し聞いた。もちろんWCSへの不満も耳にしたが、総じて些細なことで、団体の哲学、アプローチ、効率性の全否定ではなかった。
「みな結局は、WCSの長きにわたる自然保護業界での実績とリーダーシップを認めざるを得ません」と、豪ジェームズクック大学の保全研究者ウィリアム・ローレンス氏は先日、 Mongabayに語った。「おもな国際自然保護団体のなかで、かれらの活動はきわめて効果的な部類です」
WCSはさまざなま面でユニークだ。ビッグ4のなかで最古であり(1895年、ニューヨーク動物学協会として発足)、またニューヨーク市の3つの動物園と1つの水族館という物理的拠点がある。これにより、地に足をつけ、一般大衆とつながりと保って、自然保護に一貫した姿勢で取り組むことができているのが他団体との違いだと、支持者たちは言う。
WCSも近年、プログラムに新自然保護要素を取り入れているが、他の3団体と異なり、新たなアイディアは全体のフォーカスを変えるには至っていない。
「ある場所やある種がわたしたちになんらかのサービスを提供していないからといって、過小評価されるべきではないというのが、わたしたちの立場です。そこが(他団体との)違いなのでしょう」WCSフィールド保全プログラム部門バイスプレジデントのジョー・ウォルストン氏は言う。
昨秋、WCSは新たな戦略プランを打ち出した。他の巨大自然保護団体と異なり、依然として野生動物を主軸としたものだ。「2020戦略」と銘打ったこの計画で、WCSは世界各地の15の優先地域の保全をめざす。これにより、世界の生物多様性の半分を維持できるという。
「現在の悲観的な筋書きから、未来は変えられる、生物多様性の喪失は取り戻せると、人々を説得する取り組みに失敗は許されません」と、サンペルCEOは 以前Mongabayに語っている。「わたしたちは今、自然保護の歴史の中でもっとも重要な時代に生きています。貧困が改善し、中間層が成長するにつれ。自然への圧力は増しています。消費の活性化が未曾有の自然破壊を生んでいます。楽観的になるのは難しいかもしれません。けれども、多くの人々が貧困を脱し、都市に移住することで、自然保護への関心や投資は拡大すると、わたしたちは考えています」.”
こうした背景から、保護区の重要性はかつてないほど高まっており、途上国が経済的移行段階にある間、安全地帯として機能する、とウォルストン氏は言う。しかしボルネオでは、WWFは保護区から「持続可能管理」へと戦略を転換してしまった。
ハート・オブ・ボルネオの破綻
地球上でもっとも生物多様性の高い場所のひとつであるボルネオの生態系は危機的状況にある。スマトラサイのボルネオ亜種(Dicerorhinus sumatrensis harrissoni)は絶滅の瀬戸際にいる。ボルネオゾウ(Elephas maximus borneensis)は2000頭を切った。ボルネオオランウータン(Pongo pygmaeus)は年4000頭が殺されている。この島に住むそれ以外の数十万種の現状はよくわかっていないが、その住処である森林は、世界でもっとも急速に失われつつある。

わたしがボルネオを訪れ、WWFのランドマークプロジェクトについて初めて耳にしてから6年が経った。その間、鳴物入りで登場した「ハート・オブ・ボルネオ」は何を成し遂げたのだろう?
2014年、WWFはこのプログラムの 現状報告 を発表した。それによれば、森林からアブラヤシ、材木林、鉱山への転換は、ハート・オブ・ボルネオ域内で「依然としてきわめて急速に進んでいる」。域外と比べればはるかに脅威は小さいにもかかわらずだ。
結果の詳細には、良いものも悪いものもある。報告書によれば、ハート・オブ・ボルネオの森林は依然として年2.19%のペースで消失している。きわめて高い数値だが、これでも島全体でみた消失率の半分以下だ。しかし、不吉なことに、この消失率は低地雨林、ヒース林およびその他多くの生態系について「保全目標到達が不可能となるほど高い」。ヒース林についてはすでに惨憺たる結果が出ている。保全目標の61~80%に対し、2012年の時点で25%しか残っていないのだ。
「ハート・オブ・ボルネオは、現場での成果を何一つあげていないと思います」ブルネイに拠点をおくNGO「ボルネオ・フューチャーズ」代表の生態学者、エリック・メイヤード(Erik Meijaard)氏は言う。マレーシア、ブルネイ、インドネシアの3カ国がハート・オブ・ボルネオの保全を約束してから10年が過ぎたというのに、である。
WWFの目標はもとよりハート・オブ・ボルネオをひとつの巨大な保護区とすることではなく、持続可能管理ランドスケープとすることだった。2012年の時点で、ハート・オブ・ボルネオの58%は企業の管理下にあった。内訳はアブラヤシと木材のプランテーションが9%、鉱山が18%、伐採許可地が30%以上だ。
しかし同年、ハート・オブ・ボルネオの伐採許可地のうち環境認証を受けていたのは20%に過ぎず、アブラヤシプランテーションに至ってはRSPO認証獲得地はゼロだった。
「ハート・オブ・ボルネオ域内の森林の持続的管理が目標だというなら、せめて土地利用計画に多少の変化はあるだろうと期待していましたが、まったく見受けられません」と、メイヤード氏は言う。
WWFのハート・オブ・ボルネオ責任者、ヘンリー・チャン氏はプログラムを擁護し、「大きく前進した」と話す。彼はマレーシア・インドネシア間の国境地帯に設立された新たな保護区を例にあげた(ハート・オブ・ボルネオに占める保護区の割合は12.6%となった)。また、FSC認証森林も増加し、ゾウとサイの保護にも役立っていると、彼は言う。
しかし、ボルネオで野生に残存するサイはわずか15頭ほど で、WWFの本来の目標である50~200頭の維持には遠く及ばない。そのうえ、野生サイの扱いに関して、WWFは激しい非難にさらされている。その極端な例が、2013年に個体群に関する情報を公開したこと(密猟者を呼び寄せると批判を浴びた)と、つい先日職員が世話していた メス個体が死亡 したことだ。

対するチャン氏は、そもそもハート・オブ・ボルネオの生みの親はWWFではないと言う。「主導権は常に3か国政府にありました」しかし、これまでに政府が打ち出した積極的な政策はといえば、ボルネオ島の1%を占めるだけのブルネイが、自国の木材生産林をすべて保護区に転換したことだけだ。
WWFはプログラムから距離をとり、政府に圧力をかけようとしているのかもしれない。だが、ハート・オブ・ボルネオがこの地でのWWFのフラッグシップ・ミッションであるのはまぎれもない事実だ。そして、チャン氏も言うように、WWFは政府の「もっとも精力的なパートナー」なのだ。
2015年、学術誌Nature Communicationsに掲載された 論文 は、ボルネオにおける複数の保全シナリオの想定結果の比較をおこなった。これによると、ハート・オブ・ボルネオが全面的に実施されれば、島の森林の半分を維持することができる。だが、森林の大部分で伐採がおこなわれ、オランウータンとゾウのハビタットは大部分が一切の保護の適用外となる。
この論文によれば、よりよいシナリオは、3か国が協調して同一の政策や生物多様性目標(例えば、すべての主要植生タイプの保全)を採用することだ。これはいわば「全島アプローチ」であり、脅威度の低い高標高地が中心のハート・オブ・ボルネオとは一線を画す。
論文の共著者の一人で、現地NGO「HUTAN」代表を務めるマーク・アンクレナス氏によれば、ハート・オブ・ボルネオは「資金調達と宣伝にはもってこいの戦略」である反面、プログラム全体の成功は各国政府の自主的行動が頼りだった。「要するに、興味深い可能性を秘めたツールはあったのに、実行力がなかったのです」
またしても、新自然保護戦略の多くに向けられる、お決まりの批判の登場だ。野心的で包括的なのはいいが、執行・遂行能力に欠けるせいで、しばしば失敗に終わる。
マレーシアに拠点をおく団体「LEAP(Land Empowerment Animals People)」の創設者兼CEO、シンシア・オング氏は、ハート・オブ・ボルネオをもう少し肯定的に評価している。
「ボルネオ島のコアエリアを中心に、各国政府の連携を呼びかけることには成功しました」と、彼女は言う。「失敗を非難するより、良い面をみて成功の礎にしたいと、わたしは思います」
だが、オング氏もまた、WWFは最初からアプローチを誤ったのではないかと考えている。「わたしなら、ハート・オブ・ボルネオは自己組織的なムーブメントと位置づけます。管理すべきプログラムではなく」そもそも計画の規模からいって、管理するのは不可能だったと、彼女は言う。
昨年、ハート・オブ・ボルネオのみならず、ボルネオ島全体の状況はさらに悪化した。毎年乾季になると、インドネシアの農民や企業は森林に火を放って開拓をおこなう。それが安価な方法なのだ。昨年の森林火災は過去最悪級で、ニュージャージー州の面積に匹敵する(訳注:四国よりやや広い)210万ヘクタールが焼失した。
「21世紀最悪の環境災害が今まさに起きているのですから、ハート・オブ・ボルネオの成果が不十分なのは明白です」と、メイヤード氏は言う。
ハート・オブ・ボルネオに関して、WWFはどこかで道を見失ったと批判者たちは言う。計画が遠大すぎたのか、支配的な業界を動かすための秘密交渉で方向を誤ったのか、それとも政府や資金提供者へのアイディアの売り込みに熱をあげるあまり実行がおろそかになったのか。理由が何であれ、ハート・オブ・ボルネオは今や瀕死の状態だ。
同様の巨大自然保護プロジェクトに関するすぐれた分析は少ないが、ハート・オブ・ボルネオは決して例外ではないようだ。2015年、米国国際開発庁(USAID)は、資金提供をおこなったWWF米国のプロジェクト「アジア高山帯(AHM)ランドスケープとコミュニティにおける保全と適応」に関する 報告書 で、深刻な管理の不備を指摘している。ハート・オブ・ボルネオと同様、AHMも巨大な多国間プログラムであり、ユキヒョウ(Panthera uncia)分布域のコミュニティが抱える水資源、気候変動、資源管理の問題を、コミュニティと共同で改善することを目標としている。

報告によれば、プログラムは「立て直しが急務」だ。AHMは参加6か国のWWF支部と連携せず、他のユキヒョウ保全プログラムも完全に無視して、ワシントンDCから事細かに管理をおこなっている、とUSAIDは批判する。
WWF米国に対するUSAIDの評価は、マネジメントでD、コミュニケーション・情報共有でもDだ。資金調達の難航により、プロジェクトの効果と信頼性も危うくなっていると指摘されている。
プログラムが暗礁に乗り上げているのはWWFだけではない。近年もっとも恥ずべき失敗のひとつが、2006年にCIが現地コミュニティと共同でおこなった、パプアニューギニアのミルン湾での海洋生物多様性保全プログラムだ。国連開発計画(UNDP)の指摘によれば、CIの600万ドルの予算は、管理の不手際のせいで予定より1年早く底をついた(CIは否定)。 CIは地元との関係構築にも失敗 し、金銭面での懸念、エリート主義、傲慢さが現地首長との衝突を生んだ。最終的に、州知事がCI全職員の現地からの退避を命じ、行政庁舎からも追い出す事態となった。
もちろん、だからといってWWF、CI、TNCなどメガ団体の新自然保護プロジェクトはすべて失敗すると言うつもりはない。だが、少なくとも逸話的には、水源の保護や特定の動物の個体数増加といった明確な目標がある従来型プログラムと比べ、新自然保護は難航しがちで、成功率も低い、という批判をしばしば耳にする。また、小規模団体の方が概して業績がよいと批判者たちは言う。小規模団体の方が現地コミュニティの内情に通じ、成功を妨げる要因もよく理解しているためだ。
雪解け?
「対立ではありません、困惑しているのです」伝統派と新自然保護派の対立について尋ねると、レインフォレスト・トラストのポール・サラマンCEOはこう答えた。レインフォレスト・トラストの活動はおもに従来型の自然保護で、熱帯諸国に大小の保護区を設立している。
「新しい戦略を検討したくなるのはよくわかります。けれども新自然保護は、助けを必要としている野生動物を見ていません。国際的な自然保護活動にも大した貢献はできないでしょう。残念ながら、ちょっとした寄り道ですめばいい方でしょう」と、サラマン氏は言う。
一方、新自然保護vs伝統自然保護という議論そのものが無駄だという意見もある。
「(この議論が)はるかに重要な問題から注意をそらしてしまいました。わたしたちは切迫した問題に直面していて、一団体のアプローチが正しいかどうかに頭を悩ませる暇などないのです」と、CIのターナー氏は言う。
議論そのものが問題だという意見に、絶滅危惧種の保護にフォーカスした従来型自然保護団体「ダレル野生動物保全トラスト(Durrell Wildlife Conservation Trust)」の保全プログラム責任者、アンドリュー・テリー氏も同意する。
「この議論は自然保護業界の分裂を示していますが、個人的には、自然保護をめぐる_実のある議論から逸脱した、実態のない対立だと思います」
テリー氏は、すぐれた自然保護活動家はカササギのように、あちこちの畑からどんな道具もかきあつめる、「必要とあらばなんでも」の精神をもっていると言う。
「そういった姿勢こそ、自然保護がエキサイティングかつ意義深いものであり続けるのに必要なのです。しかし同時に、実証済みのアプローチもおろそかにせず、大きくなる一方のツールボックスのなかに、その置き場所をきちんと設けることが必要です」と、彼は言う。

ここ数年、疲弊によるものか、議論から険悪なムードは薄れつつある。新自然保護派の口から、過去の成果を軽んじるつもりはない、保護区が無意味だとは言っていない、といったせりふが出るようになった。一方の伝統派にも、状況によっては使えそうな新自然保護の方法論を部分的に取り入れる姿勢がみられる。そして時には両者が歩み寄り、どちらの哲学も目標は広い意味では同一で、別のルートを取っているだけだと認めあう。
だが、新自然保護と従来型自然保護の対立が沈静化したとしても、巨大自然保護団体は鈍重で官僚的で非効率だという批判はやまない。
自然保護はいつの時代も困難だったが、環境問題が多様化とグローバル化をとげる現在、複雑さは増すばかりだ。自然保護団体は、懐疑的な現地住民、どっちつかずの政府、敵対的な企業、競合する他のNGOといった相手と渡り合わなければならない。自然環境を守るべき価値あるものではなく、終わりなき経済成長を妨げるものとみなす政治哲学と、真っ向から闘わなければならない。Homo sapiensという生来的に近視眼的な生物に、長期的視野に立ち、自分たちよりもはるか先の世代のためを考えることを説かなければならない。毎日が逆境であり、雨に打たれ泥にまみれた闘いだ。
「心が折れて、『ちくしょう、会計士にでもなればよかった』と思うこともよくあります」と、サラマン氏は言う。けれども、自分の団体が守った種を目にすると、意味のある活動なのだと実感するという。
「結局はみんな仲間で、それぞれにベストを尽くしているんですよ」と、サラマン氏。
その通りだ。毎日、世界中でたくさんの自然保護活動家たちが、目を覚まし、起きている時間のほとんどを、精魂尽き果てるような、もどかしく、困難で、確実にお金にならない大義に捧げているのだ。かれらはわずかなリソースで、将来世代のために、大量絶滅や生態系の破滅と対峙している。だから、かれらがアプローチや効率性を重視するのは当然で、不可欠なことなのだ。「おれたちは十分よくやってる」などと考える自然保護活動家は、この地球上にひとりもいない。
だが、自問することも必要だ。活動の成果は出ているか? 思想は変わっていないか? 戦況は良好か? いま保護しなければ存続できないその生物種に未来はあるか? どこかで道を外れて、迷っていないか? もしそうだとしたら、どうすれば元の道に戻れるのか? その答えが、生死を分けるのだ。
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